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2008-07-28 14:41 | カテゴリ:乳癌
お正月三が日が過ぎて、病院も始まった。
放射線治療も再開した。
書かなかった気がするが、
背骨に照射するのだけど、
寝るのはうつ伏せではなかった。
普通に上を向いて寝る。
手術後は、一人で起き上がれなくなった。
技師さんに助けてもらって何とか起き上がる。
そんな自分も情けなかった。
     ~~~~~~~
ところで、私の仕事の関係で、
会社との連絡に電話が必要になった。
今は引っ越して新しい病院になったから、
公衆電話も整備されたが、
大塚時代は、廊下に赤電話が置いてあるだけだった。
個人的な話はともかく、
会社の話はさすがに廊下の赤電話では出来ない。
仕方なく、個室が空き次第入れてもらうことにした。
個室は勿論、高い。
治療費プラス差額ベッド代は、懐具合をかなり圧迫してくれた。
       ~~~~~~~
個室生活は、寂しさを感じるヒマがなかった。
私の朝の仕事は、9時頃になると
会社に電話をして、昨日のことを聞くことから始まった。
入院するまでは、私が帳簿などをつけていたから、
それが一番心配だった。
税理士さんともよく電話で話した。
一月は会社の決算月だった。
電話ではらちがあかなくて、
二、三度、病院まで来てもらったこともあった。
        ~~~~~~~
それでも、疲れたら昼間でも、休むことも寝ることも出来た。
今の生活から考えると、優雅な生活だったと思う。
それに、ひと月もいると、看護婦さんとも仲良くなれた。
他の病院は知らないが、
ここの病院の入院生活は、結構楽しかった。
      ~~~~~~~~
放射線治療が終わると、今度は乳癌の検査が始まった。
エコーで見つかったものの、そこで止まっている。
それを注射針の太いので、細胞を取って検査する。
これは痛かった。
おまけに二度失敗されて、三度目でやっと成功!
うまく取れるまで、心の中では、かなり下品な言葉を叫び続けていた。。。
私の担当になった先生は、まだ三十を過ぎた位だろうか、
若い先生だった。
         ~~~~~~~~~
私の場合は、普通の乳癌の見つかり方と違っている。
骨転移した背骨から見つかった。
それで、その担当のT先生はおっしゃるには、
もう転移しているのだから、
胸の手術は、温存でも全摘でも好きな方を選んでいいとのこと。
私は、それなら温存にしよう、と即自分では決めた。
胸が無くなるのは寂しかったし、
それと、子供の頃の記憶がよみがえった。
どこかの温泉だったのだろうか、
お風呂に入りに行ったら、
片方だけ全く胸のないおばさんがいた。
こんな病気があることなど全く知らぬ子供だ。
何で胸が片方ないのか、訳がわからず、
何ともいえぬ恐怖感を覚えた。
自分があのようになるのは絶対に嫌だった。
(全摘された方、傷つけてしまったらごめんなさい)
その時の診察で、しこりは何センチ位か聞いてみた。
2,3センチという話だった。
ふーん、そうなんだ。
その時は、そんな話で終わった、
というか、それ以外に記憶がない。
     ~~~~~
次の診察は確か二週間後だった。
もう一度しこりの大きさを聞くと、
今度は3,4センチという。
えっ、二週間で一センチも大きくなっちゃうの?!
      ~~~~~~~
私は元々背中が痛くて病院へ行ったのだ。
まさかそれが乳癌の骨転移なんて、
想像を超えたことだった。
勿論、乳癌の知識など何もなかった。
今なら、二週間でそんなに大きくなるはずがないことはわかる。
けれど、その時の私はかなり驚いた。
おまけに、手術の予定を聞くと、
三週間後と言われた。
えっ、そんなに待ってたら、癌がどんどん大きくなっちゃうじゃないの!
      ~~~~~~~~
私は、担当のk先生、実はこの先生が、
このタイトルの一部にもなってる「ボス」なのだが、
ボスにT先生とは合わないと訴えた。
一度不信感が芽生えると、ついそういう風に見るようになってしまう。
そもそも、温存でも全摘でも自分で決めて、なんていうのは投げやりではないか!
それぞれのやり方のメリット、デメリットを説明してくれて、
それで、どちらにしますか?というならわかるが、
何の説明もなく、勝手に決めてというのは変だ!
二回の診察のやり取りを説明すると、
乳腺の部長先生にそのことを話してくれたらしい。
担当医が変わった。
ここから、また話が急展開するのだが、
今日はここまでにします。
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2008-07-21 21:44 | カテゴリ:乳癌
クリスマスの後、
周りが俄かに慌しくなった。
私は、依然として背骨に放射線治療を受けていたが、
病室で仲良くなったkさんとkちゃんは、
後はリハビリに通うだけだと、退院準備に入っている。
お互いに本名や住所、アドレスなんかを交換したり、
何と言っても、「同じ釜の飯を食った仲間」だ。
名残はつきない。
kさんは、生検の為に11月に入院したので、
都合2ヶ月ここで過ごしたそうだ。
ご家族が迎えに来て、帰る時は、
嬉しいけれど、この病院や仲間と別れることはやはり寂しく、
感無量のようだった。
      ~~~~~~~
12月28日で病院も休みに入った。
私は、その年最後の放射線治療を受けた。
そして、私以外の全員が(私の記憶が正しければ)退院して行った。
       ~~~~~~~~~
実は、私も一時帰宅を許されていた。
けれど、うちには母はいない、帰っても父一人だ。
私は、おせち料理が食べたかった。
元旦は、普通のご飯は嫌だった。
私が一時帰宅しても、背中が痛いから料理は出来ない。
多分、ただ寝たり起きたりするだけ。
父は、料理は出来ないし、しない。
男が料理などとんでもないと思っている。
そんな実家に帰っても、おせち料理は食べられない。
お雑煮だって絶対に作らないだろう。
どう考えても、ロクな物は食べられない。
賢明なワタシは、病院に残ることを選んだ。
       ~~~~~~~
整形外科の病棟に残ったのは、10人ちょっとだっただろうか。
大晦日は、消灯時間になっても電気は消されなかった。
皆が紅白歌合戦を見ていたらしい。
夜の検温の記録に来た看護婦さんが、
どこの部屋でも紅白やってるから、
続きを見られていいわねって。
あの晩は何時に寝たのだろうか?
行く年来る年までは起きていられなかった記憶がある。
平成14年は、こうして過ぎ去って行った。
       ~~~~~~~~
元旦は、やはりいつものように早く起こされた。
夕べ遅かったから、まだ眠い。
さて、私が期待していた元旦の食事、
当ったり~!!!
お雑煮と、かまぼことか黒豆とか、お頭付きの小さめの海老もあったかな、
おせち料理らしい献立だった。
お雑煮の隣に、ご飯もあった。
お餅もご飯もなんて、私はそんなに食べられへんわ。
でも、とにかくお正月らしいご馳走を食べられて、
私はとっても満足だった。
      ~~~~~~~
二日に、家族に内緒で外出許可を取った。
自宅でゆっくりお風呂に入りたかったのだ。
入浴の許可は出ていたし、
お風呂には入っていた。
ただ、誰が入ったのか分からない湯船に浸かるのはためらいがあった。
だから、いつもささっと身体を洗うだけにしていた。
外出許可を取れるようになったら、うちでお風呂に入ろう、
と密かに決めていた。
       ~~~~~~~~~
夕食までには帰ると申請して、ひと月ぶりに病院の外へ出た。
もうその頃には車椅子を使わずに歩けるようになってはいたが、
電車を乗り継いで、一人で帰るのはまだ無理だった。
贅沢をして、タクシーで帰宅した。
       ~~~~~~~~~
不思議なことに、当たり前なんだけど、
一ヶ月ぶりの自宅は、入院の時と全く変わっていなかった。
私が変わっただけだ。
ベッドに仰向けになって少し休んだ。
それから、お風呂にお湯をためる。
ひと月ぶりの湯船は、気持ちがいいなんていうのを越えていた。
おまけに、汚い話だが、垢がおそろしく溜まっていた。
何気に腕を触ると垢が浮いて来る。
身体のどこを触っても、垢が浮いて来る。
なるべくどこも触らないようにして、湯船で身体をふやかして、
それから石鹸をつけて身体を洗った。
汚れているから、石鹸をたっぷりつけても泡があまり出ない。
二度洗って、それから湯船に浸かる。
試しに足をこすってみると、今度は白っぽい垢が浮いて来る。
このお湯は諦めよう。
ナイロンのタオルで、背中以外の部分を湯船の仲でこすった。
有り得ない位大量の垢が浮いて来た。
一度、全部お湯を捨てて、もう一度溜めた。
時間は掛かったが、仕方がない。
その間に、もう一度身体を洗って、それから湯船に入った。
      ~~~~~~~~
これで、やっと身も心もさっぱりした。
本当に気持ちが良かった。
やっと、新年を迎えられた、と思った。
     ~~~~~~~
遅めのお昼を、家族は知らない秘密のお店で食べた。
病気のことも入院のことも知らせてあったから、
私の顔を見て、驚いたがとっても喜んでくれた。
      ~~~~~~~
病院には少し早めに帰った。
手術をして、入院生活中の外出は
やはり疲れた。
でも、同時に外出出来るという自信も少しついた。
小さな冒険だった。
    ~~~~
つづく

2008-07-20 18:24 | カテゴリ:未分類
今日はかなり忙しい日なんだけど、
今、ちょっと時間が空いた。
それで、ブログかいちゃおうって思ったの。
      ~~~~~~
車椅子で移動を始めて少し経った頃、
クリスマスになった。
イブだったかもしれない。
      ~~~~~~~~
食事の献立も、一部を銀紙(古っ!)に巻かれた鶏の焼いたの、
(日本のクリスマスの食卓に登場する例のです)
と、あとは忘れたけど、
私が大好きなイチゴが乗ったショートケーキも出た。
クリスマスムードが一杯、ルンルン
ロビーで、プロの歌手が来て、
コンサートが開かれた。
皆が知ってるクリスマスの歌を何曲か歌ってくれた。
     ~~~~~~~~
整形の病棟では、先生方や看護婦さんが、
それぞれサンタさん、トナカイ、天使達に変装して、
病室を回ってくれた。
皆で写真を撮ったり、大はしゃぎ(病人だから出来る範囲でね)
プレゼントも貰った。
ポケットティッシュとあと一つ、
そのプレゼントに、各患者宛のメッセージの入った可愛い封筒が入っていた。
若い先生達が書いてくれたんだろう。
ちゃんと患者さんの状態や性格を読んで、
的確なメッセージが書いてあった。
読んで、思わずほろりとしている人もいた。
     ~~~~~~~~
私も、結構感激した。
内容も嬉しかったけど、
若い先生達が、昼間や夜勤の時に
忙しい仕事の合間を縫って書いてくれたんだろうなと思ったら、
それだけで胸が一杯になった。
あの頃の先生方や看護婦さん、
若い人たちは殆ど病院を辞めてしまった。
s先生、y先生、それからお世話になった看護婦さんのIさん、Mさん、
今頃どうしているかしら?
そうこうしている内に消灯になり、
クリスマスの夜は静かに更けて行った。
     ~~~~~~~
今、思ったけど、真夏にクリスマスの思い出って、
かなり変かも。
もう少しで、お正月、新年に入ります。
年が明けたら、それはそれでまた大変だったんだけど。。。
まあ、それはまた書いて行きます。

では、また。

2008-07-13 15:11 | カテゴリ:未分類
私ともう一人、同年代のkさんは長期入院組だったが、
他の人たちは、簡単な手術だったり、
抗がん剤治療での入院だったりで、
長くても二、三週間で退院してしまう。
フィリピンだかタイだかの女の子が退院した後、
そのベッド、つまり、私とkさんの間に来たのは、
やはり同世代のAさんだった。
      ~~~~~~~~
Aさんは、その時点で12年目の乳癌サバイバーだった。
乳癌は早期発見だったらしいのだが、
その後、再発したのだとか。
骨ではなかったと思ったが、
整形外科の管轄?の腫瘍だったようだ。
それで、抗がん剤治療で入院してきた。
     ~~~~~~~
乳腺の抗がん剤は、数時間で終わってしまう。
だから、ほとんどは通院で行う。
だが、整形の場合、腫瘍が大きいせいか、
全員が入院して抗がん剤治療を受けていた。
一回の治療の期間も長い。
まず、入院して、次の日に検査を受ける。
白血球や尿の数値を見て、出来ない場合もあるらしい。
その場合は、帰宅になってしまう。
それも面倒なことだと思う。
     ~~~~~~~
運よく?治療が出来るとして、
最低でも五日間は抗がん剤の点滴をする。
抗がん剤の種類にも寄るのだが、
24時間という患者さんも結構いた。
寝てる間もずっと点滴を受けている。
大体の患者さんが食欲を失くしていた。
そういう時は濃い味のもの、
例えばカップラーメンなんかがおいしく食べられるらしい。
先生方も、治療中は食べられれば何を食べてもOKという方針だった。
抗がん剤治療中の特別食、というのもあった。
果物、うどん、ヨーグルト、後は忘れた。すまんです。
とにかく、食べないよりは少しでも食べた方がいい、
例え後で吐くことになっても、食べた方がいい、
そういうことらしい。
抗がん剤が終わると、たっぷり半日は生理食塩水の点滴。
そして、やっと帰宅とあいなる。
      ~~~~~~~~
Aさんは、やはり一週間入院していた。
三人とも同世代だったので、結構いろいろおしゃべりした。
いや、私が殆どしゃべっていたのかもしれない(汗)
とにかく、話が合って楽しかった。
退院の時にAさんに言われた。
毎回、抗がん剤をやると、しょっちゅう吐き気に襲われるのに、
今回は一度も吐かずに済んだ。
一度だけ、軽い吐き気が来ただけだった。
Kさんやばななさんのお陰だわ。
入院中、本当に結構元気だった。
一度だけ、真っ青な顔でトイレに駆け込んでいたけど、
あとは楽しそうに、お見舞いの人とおしゃべりもしていた。
私のおしゃべりも、少しは役に立ったらしい。
良かった、良かった。
     ~~~~~~~~
ただ、Aさんはその後、二年後だったか、
空の上に旅立ってしまった。
私が一度、入院中と聞き、通院の時にお見舞いに寄って、
話したのが最後になってしまった。
その時は、痛そうだったが、まだ元気だったので、
そんなに早く、とは思っていなかった。
今でも、あの笑顔を思い出すとちょっぴり悲しくなる。
Kさんは、今も元気で仕事もバリバリこなしている。
二人とも、いや、あの病室で会った人たちは皆、
同じ釜の飯を食った戦友みたいなものだ。
私の戦争はまだ終わっていないが。
     ~~~~~~~
二十歳前後で空の上に行ってしまった患者さんたちもいる。
寿命がもうあまり長くないことを知りつつ、
冷静で、いろいろなことを教えてくれたKちゃん、
まだ高校生だった、Nちゃん、とっても静かな子だった。
それから、名前が一字違いで今年旅立ってしまったNaちゃん、
皆のこと、一生忘れないよ!
      ~~~~~~~
K先生は、演歌はあまり好きではない。
理由は湿っぽいから。
大好きなのは、ラテンとかカンツォーネ、
多分今まで助からなかった患者さんは
何百人もいただろう。
明るい歌を聴いたり歌ったりして、
辛い時に気を紛らすのだろう、と思う。
患者も大変だけど、
お医者さんも、辛いことが沢山あるんでしょうね。
生きて行くって、ホントに大変だわ。
     ~~~~~~~
つづくーーー
2008-07-11 01:59 | カテゴリ:乳癌
せっせとご飯を食べたせいか、
傷は順調に回復して行ったようだ。
二週間後に抜糸をした。
糸を切ってくれた先生に聞いたところでは、
17針縫ったとか。
ふーん、骨は一つだけなのに、結構長い傷じゃん。
背中だから、自分では全く見えない。
それはある意味では良かったのかも。
私は、そういうのは見たくないから。
      ~~~~~~~~
話が前後しているが、
主治医のK先生からは、車椅子に乗っていいという許可がなかなか出ない。
二日早く手術を受けた同室の患者さん、Kさんにやっと許可が出た。
K先生は慎重派なのかも。
私としては、トイレの問題があるから
早く自力での移動手段を確保したいのだけど、
でも、餅は餅屋と言う言葉もある。
大人しく、許可が出るのを待っていた。
     ~~~~~~~
そして、手術から約3週間経ったころ、
やっと車椅子の許可が出た。
嬉しかった。
飛び上がるほど嬉しかった。
これでやっと一人でトイレに行ける!
(トイレ、トイレと、しつこくてすみません)
それから、背骨への放射線治療が始まった。
月曜から金曜まで、週五回の照射。
一回2,3分で終わってしまう。
痛くも痒くもない。
背中だから、やっぱり見えないから、
色素沈着とかあったのか、私は全くわからなかった。
その頃は、とにかく言われるままに治療を受けていたし、
何も知識がないから、何もわからなかった。
ただ、これで背骨の癌はやっつけられると信じていた。
      ~~~~~~~~~~
痛みはまだ続いていたから、
車椅子で連れて行ってもらう。
ベッドから降りるのも大変だった。
とにかくねえ、本当に痛いの。
看護婦さんだったか、助手さんだったか、
助けてもらって、やっとベッドから降りる。
そして、また助けてもらって車椅子に乗る。
リニアックの部屋に行くと、またベッドに寝るまでが大変。
終わってベッドから降りるのも、やっぱり一人では出来ない。
放射線治療そのものよりも、
その前後の方がはるかに大変だった。
仕方がないけど、人手を借りないと動けないのはやっぱり悲しい。
      ~~~~~~~~~
何度か乗るうちに、車椅子には慣れてきた。
私は、背中はとっても痛いけど、足は何ともない。
リニアックの部屋には連れて行ってもらったが、
トイレには一人で行くように練習した。
車椅子を真っ直ぐに運転?するのは結構難しいものだ。
どうしても、利き腕の右腕に力が入ってしまい、
右に曲がってしまう。
3日位経ったら、練習の甲斐があって、真っ直ぐに動けるようになった。
トイレにも、バックでうまく入れる技を習得した。
     ~~~~~~~~~
そして、慣れてきた私はある日閃いてしまった。
ずっと寝たきりだったから、足が萎えているに違いない。
足の運動をしなければ!
背もたれによりかかって、足を乗せるペダルは上げてしまう。
そして、病室からナースステーションまで、
長めの廊下を、足を使ってすごいスピードで走る!
その頃来てくれたお見舞いの人には、
この芸?を見せて、びっくりする顔を見て密かに楽しんでいた。
いや、こうやって走り回るのは本当に楽しかった。
そんな私の姿を見たk先生、
同じ病室の患者さんに、
「やどかりが逆さになって走り回ってる」
と言ったとか。
まあ、確かに、そう見えるでしょうね。
      ~~~~~~
また車椅子の生活をしたいとは思わないけど、
でも、あの走り回るのはもう一度、ちょっとやってみたいかも。。。
楽しかった思い出の一つです。
     ~~~~~~~
つづくーーー


2008-07-07 20:56 | カテゴリ:乳癌
手術後、一週間程経った頃だったと思う。
背骨の癌細胞は、他から転移したものだと言われた。
初めは、何を言っているのか、意味が分からなかった。
転移?
えっ?
他から転移した?
えっ?
一体、何の話???
    ******
つまり、背骨の原発癌ではなく、
他から転移したのだという。
がん細胞を調べると、原発か転移癌か分かるそうだ。
がん細胞の組織が全く違うのだとか。
そして、これから検査で原発癌を探すという。
多分、このことはもっと早くにわかっていたのだと思う。
k先生は、私に言うのをためらっていたのだろう。
      ********
それにしても、転移なんて、そんなことがあるなんて。。。
何の知識もなく、ただ背骨が痛いだけで入院した私は、
何だか、きつねにつままれたような話だった。
とは言っても、相変わらず脳天気なワタシ、
それほどショックではなかった。
というか、ショックjを感じるところまで行かなかった、
というのが、本当のところかもしれない。
何かが一時的に麻痺してしまったとのかな。
でも、まあ、それならそれで仕方が無い。
原発癌を探すしかないではないか。
と思ったと思う。。。
      ********
二、三日後、乳腺科の若い女医さんが胸の触診に来た。
k先生は、一番に乳癌を疑ったのだろう。
でも、触診ではしこりは見つからなかった。
私は、まだ痛みと格闘中だったので、
原発癌がわからなくても、ふーんという感じ。
今考えれば、かなりマヌケな患者だ。
その後、また何日か経って、今度は胸のエコーをやった。
そして、ついに、左胸にしこり発見!
エコーの技師さんは何も言わなかったが、
夕方病室に遊びに来た?k先生に、
「白い丸いものが映っていた」と言ったら、
見つかってよかった良かったと、大喜びしていた。
何でも、白いのは悪性で、黒いのは良性だとか、
記憶違いの可能性があるが、そういわれたと思う。
私は、まだぴんと来なくて、
ふーん、乳癌か~、という感じだった。
どこまでおバカなんだろう!
と、今は思う。
     *********
つづくーーー
2008-07-06 18:33 | カテゴリ:乳癌
三日目からは、確か普通の食事になった。
箸とスプーンのセットは持って行ったけど、
腕を動かすととてつもなく痛いから、
食べるのがひと苦労。
特に味噌汁とかの汁物は吸い口に移してもらうが、
自分で飲むのはかなり大変で、途中でギブアップ。
ご飯粒をこぼすくらいならまだしも、
おかずの汁が口から垂れたり、かなり苦労した。
面倒になって、結局ほとんど残してしまうことになる。
看護婦さんも忙しそうだし、つききりで食べさせてとは頼めない。
とは言いつつ、右手のすぐそばにナースコールを置いて、
何だかんだと頼んでいたのは事実だが。
      ~~~~~~~
そんな私を見ていて、世話をしてくれたのが、
同じ病室の仲間たちだった。
まだ手術したばかりの人もいたから全員ではないが、
その中のちょっと年配のWさんには本当にお世話になった。
若い頃、女学校の教師(言い方が古い?)をしていたのでは?
という感じのWさんは、私の食事の面倒をみてくれた。
自分の食事が終わると、私のベッドの側に来て、
スプーンでご飯やおかずを口に入れてくれた。
汁物は吸い口に移して、具はスプーン食べさせてくれる。
私は一日寝たきりで動けないから、
それほどお腹も空かない。
たまに、嫌いなものもある。
でも、Wさんはもう少し、あと一口、と
まるで子供に食べさせるように、私に食べさせてくれた。
Wさんのお陰で、私の傷はみるみる回復した、のかな?
他の人たちも、ベッドを上げたり下げてくれたり、
いろいろな細かいことでお世話になった。
      ~~~~~~~~~
尾籠な話になるが、寝たきりの間、一番嫌だったのはトイレの問題だった。
小さい方は管が入っているからいいとして、
大きい方は、自分ではどうにもならない。
看護婦さんは、「遠慮しないでいつでも言ってね」
と言ってくれるが、
私としてはやはり、他人にシモの世話をしてもらうのは嫌だ。
かと言って、食べないわけには行かない。
寝たきりでも、お腹は空いて来るし。。。
我慢して、どうしようもなくなると、ナースコールのボタンを押す。
痛みをこらえて、腰の下に平たい便器を置いてもらう。
用が済むと、またボタンを押して始末してもらう。
これは、最後まで嫌だった。
自分でトイレに行けるごく当然のことが、
こういう状態になるとどれほど幸せなことか、しみじみわかった。
      ~~~~~~~~~~
痛みは、少しずつ薄れて行った。
それでも、やはりかなりのもので、
少し動く度に、「痛っ!とか、「うっ!」とか声が出てしまう。
ただ、私はおしゃべりの上に笑い上戸で、
おかしいことがあると、痛みとは関係なく笑いの発作が出る。
今でもたまにその時の仲間と会うのだが、
「ばななさんは、しゃべってるか笑ってるか、大人しいなと思うと、
食べてるか、寝てるかだった」
といわれてしまう。
その通りなので、何も言えない。
主治医のK先生にも、「変な患者」と思われていたようだ。
多分、私のようなタイプは、k先生のそれまでの人生にはいなかったのだろう。
痛みとトイレの問題を別にすれば、仲間にも恵まれ、
それなりに楽しい入院生活だった、
今思い返すと、そう思う。
       ~~~~~~~~~~~
つづく-ーー
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